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木質建築
の開発
Timber Structure Development
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   木質建築の開発 timber structure development
01
木質建築の開発
timber structure development
1985年以来、第五世代への木構造の挑戦
●木構造の開発
1.第二世代:大断面製材による公共建築
「那須友愛の森」1985年:構造;遠山則孝(次郎部小屋で6mスパン)、松井源吾(斜め格子によるトラス構造で6mスパン)
「浜島赤い風」1991年;構造;松本年史(斜材をV字柱天秤構造)2作品とも米松大断面製材によって、新しい工法を開発した。

2.第三世代:大断面集成材による準耐火木造公共建築、
「浪合フォーラム」1994年、96年 構造;遠山則孝(長野県産材唐松、アーチ梁、スリーヒンジ等大断面集成材による複合体の形成手法開発)
「豊田市立旭中学校」1996年 構造;遠山則孝(米松集成材による7種類の構法開発、アーチ梁、方杖柱など)
「菟田野町役場庁舎」2000年
 (米松集成材のアーチ、水平、逆アーチ複合梁等の構法の開発)、
「菟田野町保健センター」2001年
 (ホワイトパイン集成材による、アーチ梁のハイパボリックシェル構法の開発)
「美麻村情報センター」2001年
「あさぎりの郷」2002年
「菟田野町立笠神第2住宅」2003年
(木造3階建て集合住宅を提案し、雁行した配置により、各戸の独立性を高め、空中歩廊で各戸を繋いでいる。)

3.第四世代:新しい木材、新しい金物構法:PSLエンジニアリングウッド利用
「余呉やまなみセンター・はごろもホール」1998年 構造;遠山則孝(2.5m豪雪地域での米松PSLエンジニアリングウッド利用の水平・アーチ複合梁による剛性を高めた構法の開発)

4.第五世代:木材の本来のめり込みによって力を伝える構造
「諫早市森山保健センター」2005年 構造;稲山正弘(長崎県の県産材利用では3寸5分角柱しかないため、これを合欠き卍固め構法によってトラスを構成、8mスパン、12mスパンの空間を創出した。)
「七沢希望の丘初等学校」2008年 構造;山辺豊彦(丹沢地域材の丸太、杉材を利用して、天秤梁構法を開発し、6〜8mスパンの空間を創出した。)
「東松山化石展示体験館」2015年 構造;佐久間順三(流通材の杉により、合い欠き卍固めトラス構造によって、小展示空間を創出。)
「中仙町水の公園水の家」2002年 構造;岡部株式会社(岡部、遠山事務所と共同開発してきたラックジョイント(ラック金物によるめり込みによる木造ラーメン構造)の試作品による小作品)
「ラックジョイントの家」2008年構造;岡部株式会社(東妻側を全開口とし、明るく、太陽熱を壁に蓄熱し、創エネルギーを実現)

参考:「木の魅力を拡げる」コラムpdf
●木軸ラーメン用ラックジョイントの開発

 木三共(木造三階建て共同住宅)をにらんだ、集成材によるラーメン構造の仕口ジョイントは現場接着工法など難点が多く、これを現場乾式工法で、しかも金 物だけでなくめりこみによる緊結も期待できるジョイント金物を開発している。遠山則孝氏の協力を得て、建築金物メーカー、集成材メーカーと協同で開発し、 現在4回目の試験体の強度実験中である。

■「中仙町立二日町公園・水家」においてこのジョイントを初めて採用した。水家は鯉の池の上の4本柱の家で、柱・梁の4隅のジョイントがラーメン構造となっている。
大断面集成材による工法 中仙町立二日町公園
■コラム
「エコマテリアル百話」掲載0110「木構造による軽い屋根表現
彰国社内外そうチェックリスト06「木造の第五世代-諫早市森山保健センター-
建築学大百科「現代の職人
■木の魅力を拡げる
To enlarge the potenciality of the timber works

木の魅力を拡げる(PDF:4.62MB)
■木造でつくる、次世代の「近代建築」
Timber Structural Development Will Spread The Next Generation Of The Modern Architecture

木造でつくる、次世代の「近代建築」(PDF:9.46MB)

Inovaive Timber Structural Technologies(PDF:9.92MB)
■ エンジニアリングウッドの可能性
エンジニアリングウッドは日本ではまだほとんど生産されていないのが実状である。逆にアメリカでは一般的で、ツーバイフォーの材料として造られているのだが、これが他の国に普及していないのが不思議なくらいである。

PSL(パラレルストランドランバー)を例にとってみよう。アラスカやカナダのPSLは主に米松で造られるが、このPSLの原木から最終製品への有効利用率は驚くことに8595%に及んでいる。普通の米松の集成材が4045%、秋田杉の集成材に至っては2025%という歩留まりの悪さである。特に杉材はヤング係数が低いため、ラミナという25mm30mm厚 の板を挽くときにハンマーで叩きながら、ヤング係数のクラス分けを行い、梁材の辺材にヤング係数の高いラミナを配し、中心に低い材を配するというコンピューター製材を行っているが、それでもこの低い歩留まりである。喩えていえばマグロの大トロだけを食べてあとは捨てているようなものである。

 こう考えるとエンジニアリングウッドの重要性は大きいことが分かる。無駄を無くし、ある時は枝まで利用してストランドをつくり、それを固めて梁をつくる。 この製法はむしろ間伐材の利用に適しているのではないかと思うほどである。ひょっとすると日本の林業の課題を救う道かも知れないと密かに思って、実践する集成材メーカーが表れることを心待ちにしているのである。
このエンジニアリングウッドの木造は、第4世代と位置づけられ、2000年以降は木と木がめり込みで力を伝えあう、金物のジョイントを使用しない、本来の木造構法に戻りながら、新しい空間をつくろうとする、第五世代の方向に木造建築設計は進んできた。
中村事務所では、稲山正弘氏と協働して長崎県森山保健センターを105o角材で12mスパンの空間をつくり、山辺豊彦氏と協働して厚木の七沢希望の丘初等学校を設計した。2015年には佐久間順三氏と協働して東松山市に化石体験館を設計した。

余呉やまなみセンター:PSL梁
「エコマテリアル百話」掲載0110 / 写真:堀内広治
■ 木構造による軽い屋根表現
 木構造は極めて軽い構造である。最近は上部に軽い構造を採用することが当然の作法のようになってきていて、これを木構造で作れないかと試みを重ねている。もちろん、鉄骨造の軽快さと比べると、部材の太さが太いため、写真では重く見えるのだが、実際の見かけは木の軽さが意識され、ある大きさがないと逆に心許なくなる。学生や若い人はこの材料の強さと太さの感覚、同じ重さを支えるのに必要な太さが理解されないことが多い。また、雑誌だけで判断すると木造が重く見えるといった不利な点があるのは否めない。ただし、鉄骨の場合は外部とのヒートブリッジが出来ることが気になって、熱伝導率の小さな木造の可能性をさらに追求したいと思っている。

最近はこのように軽いデザインが全盛だが、これとは正反対のデザインとして1960年代のブルータリズムを思い起こす。槇事務所の立正大学は高く細い柱(群)が四角いコンクリートの箱を支えていて、その下部の空間的豊かさと、上部との対比が心地よかった。我々は普通より細いプロポーションの良い柱に憧憬を深めていたのだが、70年代に入って槇さんはもう私はトップヘビーはやりませんと言った。材料の重さをデザイン的に考えていなかった当時の自分には、これを不思議に感じたことを昨日のことのように思い出す。このときは槇さんがブルータリズムのコンクリートの重さを不自然と感じ始めた時期なのかもしれない。

 上部構造が軽いことはいろいろ利点が多い。まず当然ながら、地震の水平力に対する固有周期が短いことであろう。従って壊れにくく、万一破壊された場合にも被害は少ない。また、ヒートアイランド現象についても、太陽のエネルギーを最も受ける屋根面が熱容量の大きいRC造であれば、昼間の太陽熱を夜間に放熱することになる。これを避けるために屋上緑化や有孔ブロックなどを屋根面にのせようとするが、よけい重くはなるし、熱容量も多くなるのだ。これが軽い木造で外断熱工法をきちんとしておけば、外皮のステンレス板は熱容量は小さく、また庇を長くしても木構造自体は断熱性能が高いため構造からヒートブリッジをつくることもなくてすむ。こうして出来る長い庇は、夏の強すぎる太陽熱を室内に入れず、冬の長い陽差しを取り込む光のコントロールや、雨や風による外壁やサッシを守る大きな耐久性を高める役目を果たしてくれる。

 また、木構造で屋根をつくると、勾配のデザインがついてくるが、これが室内をゆったりと包み込むような空間に仕立て上げてくれることも、間接的だが大きな利点と考えている。
旭中学校食堂:木構造架構
「エコマテリアル百話」掲載0110 / 写真:堀内広治
■ 木造の第五世代−諫早市森山保健センター−
  旧森山町は「伝統から学ぶ美しい町づくり」をテーマとし、森山カントリーパーク公園に役場庁舎を中心とした複合施設を計画した。コンペで採択された私の案は、北の多良岳を借景とする広々とした芝生公園と樹林を北に配置し、南に複合施設を伝統の知恵を生かした木造建築とする計画である。第一期の保健センターが05年に完成し、今後二期以降が予定されている。
基本構成は4mスパンの不特定目的空間が8m、12mスパンの目的空間の間に平行配置され、中庭を介し、自由でフレキシブルな対応が可能なシステムで、浪合フォーラム以来、複合機能をまとめるときに使ってきた空間構造である。

 私は20年前から木造の公共建築を試みてきた。大断面木造の第2世代、集成材による準耐火建築の第3世代、エンジニアリングウッドで間伐材利用が林業再生の方法と採用した第4世代に対し、この森山保健センターでは稲山氏の協力を得て、3寸5分、4mの住宅用角材によって8m、12mスパンの空間をつくり、伝統的なめり込みによって力を伝えていく、いわば第5世代といえる木造となった。林産県ではない長崎県の小さな材料で大きな空間をつくる工夫であり、諫早地方の民家の「ももつき葺き」(シコロ葺きの一種)という小さな部材で大きな屋根をつくる伝統工法を現代に生かした工法として町も賛同してくれた。

 材積は120m3(0.15m3/m2)と少ないことと大型乾燥施設がなかったことなどから8万円/m3と高めのコストとなった。メンテナンスに関しては、常に竣工時に施設維持管理説明書を作成し維持管理計画と基本的内容をの踏襲を目指している。

 空間への効果としては3寸5分という小さな部材であるため、その構造材としての存在感は小さく、特に4本の柱は105mm厚の壁のように存在感がなくなってしまうのが不思議なくらいだ。また新しい木造の可能性が開けたと思っている。
彰国社内外装チェックリスト06
■ 現代の職人
● 職人の歴史
 古代から中世にかけて、「小屋をつくる技能」は誰もが住まいをつくるために持っていた技能である。物差しも無く、人体寸法で作っていた。これに対し、「堂を建てる技術」は物差しを使って建築した技術で、神社、寺院建立の技術であった。奈良時代の仏教伝来の頃にはすでに多くの職人がいて、渡来技術者の大伽藍建設に協力したといわれている。平安時代までは寺院や貴族の住まいが職人技術の対象であったが、武家政権以降に地方の権力者が登場すると、建築の需要が増大し、堂をつくる技術は地方にも伝播した。
近世以降の建築職種分類としては、惣大工の下に土方、石工、鳶、大工、左官、建具師、畳屋、瓦屋、庭師などの職人がいた。さらに産業や生活用品などの用途の多様化に対応する専業化が進むと、大工にも家大工、指物大工、車大工、船大工、桶大工などが登場した。
 明治時代になると、洋風建築の導入や近代工業の発達により、新しい技術や工法が開発され、その結果、新しい分野の大工、工務店、職方が登場し、逆に多くの職種が消滅した。
 現代は近代工業化による大量生産の結果、ものは至る所に溢れ、容易に手に入るようになり、その有難味が極度にうすれてきた。ものが大切な財産だった時代から、ものそのものが生み出すサービスやソフトに価値が移ってきたといえる。同時に近代工業化は結果として地球環境に影響を与えたり、生物や人間を死に追いやったりする場合も現れてきた。現代はこの地球環境を持続させるためのたくさんの智恵が求められている時代といえる。
● 修業と技術本
 職人の組織は親方−職人−徒弟を基本とし、徒弟、つまり小僧で入門、見習いとして、<@馴れて身に付け、A教えてもらって覚え、B習って高める>の修業をした。@、Aは親方や兄弟子たちによって授けられる、技能習得と職人の持つべき常識である。この修業によって職人は社会に出て技能差を持ちながらも働くことができた。Bは一生の修業であり、各人の人間性が大きく関与し、真の親方になるための修業といわれる。
修業の基本は仕事の型の習得にあり、型とは「匠明」(平内家技術書)によれば、五意に通じ、昼夜怠らず、古人のつくった地割と格好の好悪を見分け、参考にするべしとある。五意とは「式尺の墨曲」(規矩術を含む設計技術)、「算合」(積算)、「手仕事」(大工技能)、「絵様」「彫物」(飾り絵、彫刻)をいう。これらは建築生産体制の設計、施工、管理の流れを示している。そして職人には技能のみでなく古人の作風を良く調べ、自分の独自性を発揮することが求められていた。その他の江戸時代以降の技術書としては、「武家雛形」、「紙上蜃気」、「家舶心得集」、「愚子見記」などがある。
「匠明」(東京大学工学部建築学科図書館蔵)
表紙外観写真 殿屋集 昔六間七間主殿之図
● 現代の若者のものづくり離れの原因
 現代の若者に職人やものづくりが敬遠されている原因として次の5点が考えられる。 @.ものづくりが身近になく、ほとんど実態が見えず、ものに触れて感動する機会がなくなった。A.大量生産、効率化の追求のために、社会の専業化や分業化が進み、一人一人は生産ラインの一歯車の役割を担い、自己実現がしにくい社会になった。B.科学の進歩の結果、ロボット化が進み、木造建築においてもプレカット生産が普及してきた。その結果、職人の必要性がなくなり、社会的評価も変わり、誇りも失われてきた。C.労働に汗する体験がなく、汗する喜びも体感したことが少ない。D.従来の徒弟制度的な技能者育成環境から近代的雇用契約による会社・社員の関係に変わってきた、などが挙げられる。
● これからの職人像
 これからの職人像としては次のような資質と能力を備えていることが理想とされる。
 新しい科学が生まれると、その種子から新しい技術が開発され、生活が革新され、社会需要が喚起される。その需要に応えるためにさらに新しい技術が開発され、科学を刺激する。この種子・革新・需要・刺激の円環的関係が世の中を進歩させていくと考えると、新しい職人(テクノロジスト)は豊かな感性をもって、基本技能に習熟し、科学技術への知識を応用して、普遍・汎用的なものを創造することが求められる。時代を切り開いていく新しい発見や発明は知識だけでなく、感性による飛躍力が必要である。感性の豊かさは環境の変化にも敏感で、地球環境問題を水平思考でみることができる鋭さをもつ。さらに社会の動きを広い視野で把握し、社会需要を喚起する影響力をもち、社会変化に柔軟に対応できるマネージメント能力をもつことも必要となる。
● 社会的倫理の必要性
 職人は従来の徒弟制度の中では、「職人は一生修業」「くらしは下を見て、仕事は上を見て励め」「職人は貧乏でも世の人の宝となれ」と教えられてきた。徒弟の期間に、博打をしない、買わない、欲しがらないという倫理が徹底的に叩き込まれ、これに反すると破門という形で社会から締め出されていった。
それに対し、現代の社会構造の変化、生産性・効率性の追求、無駄の排除、その結果としての非人間的な社会、そして情報の氾濫する社会において、様々な規律が崩壊しつつある。職人としての自己を律する精神性、社会的倫理をどう教育するかが現代の職人教育の大きな問題となる。
現代の職人は自律的にしっかりとした倫理観をもつことが必要である。すなわち、社会と互いに利益を分かち合い、共生する生産体制、価値観を作り上げる視点とリーダーシップが求められ、そのために自らを律する倫理的責任感をもって社会に接し、人間性を回復し、基幹となる人づくりができなければならない。職人は人から信頼され、製作したものに新しい価値を生み出し、社会に人間性を回復し、循環型社会を構築し、最終的に持続的な地球環境の創造に寄与することが求められている。
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