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03-01 浪合村新しい村づくり |
Namiai Village New Village Development |
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長野県下伊那郡浪合村 |
基本計画2回20年分、実施5年計画3回15年分計画策定に関わる |
1990年〜1999年 |
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■浪合村の「新しい村づくり実行委員会」が1年半余り積極的な討論を踏まえた検討の結果を基本構想、基本計画としてまとめたものである。
■浪合村は塩の道、流通の道として飯田、奥信州地方と岡崎、三河地方を結ぶ三州街道(現国道153号)の最高地として大正中頃までは要衝にあたる村であった。
■昭和60年代に入って村づくりにおいて先駆的なアイデアを試みてきた。治部坂方式と呼ばれる治部坂高原における土地の自主管理方式による観光開発、
野外教育を観光と結びつけたもみじ平森林総合利用施設、あららぎ高原ゴルフ・スキー場開発、子供村野外教育センター、山村留学、
そしてユニークな学校と評価の高い浪合小中学校等が浪合の開発の歴史を作ってきた。
■昭和40年代からの高度経済成長期の“大衆レジャーの時代”から昭和60年代の安定成長期に入って“多様なレジャーの時代”に変化してきた時代的背景と、
周辺地域の観光開発を視野に入れた地域性の観点からも浪合村の観光開発の方向を再検討する必要が生じた。。
■観光開発は村の経済を支えているものの、これが村民のために始められたはずでありながら、村民の生きがいという面から見てあまり貢献していない、
修正すべき点があると考えられ、その点を中心とした議論が村づくりの議論の中でも活発に行われた。
■新しい村づくりの議論では「村全体が村民すべての浪合学校」という理念に高められ、村の自然を身近に感じ、また来訪者に楽しんでもらい、
そして村民の楽しんで生活する場面を少ない友人と共有するといった、浪合村の自然と教育と文化を軸とした開発をするべきだという考え方を基本理念とすることとした。
■この新しい村づくりの考え方を実践したトンキラ農園や浪合フォーラムや河川利用の施設など、公共、民間の既存路線に加わったが、
特にPRをしなくても利用客は口コミで年々増加し、改良の余地は多々ありながら現在のところ成功と評価されている。
■コラム「ASIA WEEK 」(May 11,2001) 文・島塚容子氏
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 トンキラ農園 |
 トンキラ農園 |

浪合村航空写真(PDF:298KB)
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浪合村地図(PDF:393KB)
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