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11 個の尊重 |
現在日本建築家協会が事務局となって、ユネスコの一機関である国際建築家連盟のワーキングプログラム「未来の建築」が毎年世界各地で開催されている。昨年はヘルシンキで開かれたがその会議で、フィンランド大学社会学者リスト・エラサーリ氏(Risto
Erasaari)の講義を聴いた。氏は社会政策に関するキーワードとして、福祉よりも個の尊重、確かさよりも不確定さ、安定よりも不安定に変わりつつあると説かれた。そして社会には、多様なライフスタイル、問題意識、可能性、ニーズがあり、個を尊重することが今後の課題であると指摘された。
福祉とは社会的弱者に手をさしのべ、全体としての安定性を確保したいとの考えから生まれたものではなかったか。福祉が狭義の意味でなく、公共性という広い意味を持つことも再認識させられたことだが、さらに全体のシステムから個の尊重へ、社会政策の重心が動いていることに興味を覚えた。
個というとエゴイズムなど誤解を生むことも予想されるが、この10年ぐらいたずさわってきた各地の先進的な計画を考えてみると、そこには必ず個からの発想が優先していたことに思い当たる。
福祉環境にしても教育環境にしても、また全体の社会施設の環境にも云えることだが、日本の10年前までの政策はマイナスをゼロにするものであり、それがこの10年間でやっと質を考える時代になったと思っていた。
既存の福祉施設を各地の人と訪問する度に、自分たちが入りたいと思える環境でないと生き生きとした環境にならないという議論になる。学校の一斉授業、福祉のデイサービス活動などの集団的活動は個性を萎縮させ、問題も多いのだ。どうしたら個人の尊厳を尊重した、生き甲斐を持てる活動ができるのだろうか。
自分たちもじきに高齢者の仲間入りをする。そのとき高齢者施設を楽しく、生き生きとして利用し、余生を生き甲斐をもって暮らせるだろうか。自分が入りたいという施設はどんな環境なのだろうか。自分という個の存在を通してみないと今後の高齢者施設のあり方が出てこないのではないかと考え始めている。
ある中学校の設計の場合でも個の尊重は重要なテーマだった。子供たちが自主的に学習する力とは、知識を教えることで育つのではなく、好奇心と集中力を養い高めることではないかと思う。そして先生が子供たちと近い距離にいて、先生自らが好奇心をもって教材研究に接する姿を、子供たちに示すことが必要と考え始めている。
そのためには一般科目も教科固有の教室をもち、室内の掲示、教材棚などを生徒の好奇心を刺激するように充実し、教員が職員室よりも教科教室の中の教材研究ステーションに多くいるという方式が有効となる。最終的には目標に達する方法を生徒自身が教材の中から選んだり、図書室や情報網から探し出して自ら考えるのが理想とされている。
個を尊重するということは、言うはやさしく、行うに難しとは思う。したがってエラサーリ氏のいう不確定さや不安定さに対して、現実にはどんな具体的な方法がありうるかを今後追求する必要がある。全体を管理するシステムが20世紀に作られてきたとすれば、21世紀の課題は、個への柔らかな対応を行える仕組みはどうあるべきかではないかと思う。
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「所論緒論」日刊建設工業新聞3 |
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