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13 東京の空の不思議 |
東京の空にある不思議なもののことである。この数年の間に東京にいくつかの不思議なものが出現した。出現したというのは、こんなにも大きく、遠くから見えるオブジェにもかかわらず、計画中や建設中にはとんと話題に上らず、完成してからも人々の間ではひそひそとしたうわさはあっても、表立った議論がなされてこなかったという不思議さが神秘的でさえあるのだ。
それらは、代々木のDocomoタワー(272m)、市谷の防衛庁の電波塔(220m)、池袋の清掃工場の煙突(210m)である。清掃工場の煙突は世田谷を初めとして(今年度役目を終えて解体されるそうだ)、お台場などにもあるが、ここにあげるのは普通の電波塔や煙突の類から、一つ抜きん出た高さがあり、迫力がある構造物である。それらが人々の知らぬ間にあるとき突如として出現し、その後東京の風景の中である場所から見ると周囲を圧巻する影響力をもった特異な存在となっているのだ。その中でもDocomoタワーは他の二つと違って恣意的な悪巧みが感じられる。
Docomoタワーはニューヨークのエンパイヤステートビルに酷似しているのだ。中央高速道から首都高速道路に入って東にまっすぐにくると道路景観の正面にこの塔が威容を誇っている。この塔は電波塔としてデザインされていない。あくまで普通のビルのようにデザインされている。ところが、50階に匹敵する272mの高さのうち、14階までは本当の事務室であるが、15〜26階はスーパーコンピューターなどの機械室、27階以上はアンテナ、ケーブル類の空洞なのだという。垂直線の集合、左右から7段上がりのシンメトリーで古典的なバランス感覚をもって聳えている。これが普通のオフィスビルであったら80年代のポストモダンのデザインと勘違いするかもしれない。ところがこの塔の上部には窓がない。中心にそれらしいシンメトリーの上昇型のデザインがされているが、窓ではない。夜には新宿の超高層が煌々と明かるい時に、この塔だけは真っ暗でその夜景の不気味さは特別である。つまり、この建物の上部2/3には人間の居場所がないのだ。
かって、空に一番近いものは神だった。カテドラルの十字架だった。ドイツの森の中に十字架がそびえている風景は、十字架を超えるものは神を冒涜するといわんばかりだ。その下に森がうっそうとしげっている。風景の中で建築は樹木より低く抑えられているべき存在だった。東京でも60年代に目白の東京カテドラルが建ったときは、東京タワー以外は空にそびえるのは十字架だと思った。それが新宿に超高層が立ち始め、池袋に240mのサンシャインビルが建ち、東京にも超高層時代が訪れた。
超高層は60階でも人間が活動する場としてつくられているが、Docomoタワーは機械が支配している。神の空の時代から、人間がそれを超え、いまや機械が支配する時代か。東京の空を支配し始めたものたちが、人の空間でないところが不気味である。オーソン・ウエールズの未来小説の一部を思い出して身震いする気持ちである。それが本当に自分たちの役に立っているものだろうか。それともそのような顔をしているが、こんな大きなものがいるのだろうかという素朴な疑問をとうに超えて、実はすでに人間の能力を超え、気持ちを制御しながら、機械が自分の世界を作り上げているのではないだろうか、という恐怖である。あるいは機械のような思考が人知れず、説明無しに人の世界を侵食しだしたという恐怖かもしれない。
風景は人の知恵の集積だという。東京の風景も土地の所有形態や経済の歴史、人の欲望も含めて意志が作り上げたものだ。その長い蓄積の最終結果がどうも機械に支配される空となってしまうと考えるのは私だけだろうか。
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「所論緒論」日刊建設工業新聞5 |
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