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COLUMN 12 汐留都市再開発での都市デザインの欠落 |
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12 汐留都市再開発での都市デザインの欠落 |
東京では大規模な都市開発の完成が続いている。市街地の空洞化問題が地方都市だけでなく都内にもおしかけているような経済不況の時代にもかかわらず、品川、六本木、汐留などの都市開発地区を見る限りでは日本経済は右肩上がりかと錯覚しそうである。これらの開発の中でも汐留地区において、都市計画家、都市デザイナーがどのような役割を果たしてきたのかを見てみたい。
汐留開発において都市デザインを考える際のコンテクスト(文脈)は最低3つあると思われる。第一は東京湾の海を引き込んだ浜離宮の埋立ての歴史と緑地帯。二番目は人々に親しまれてきた銀座の延長にある街としての位置。そして道路や鉄道などの交通空間と共存し、守られる歩行者空間の快適性である。
第一の海と緑の課題に関しては、汐留は歴史的にみると東京の海と街との接点として重要な位置にあった。浜離宮は1654年に作られ、海辺の庭園の特徴である、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変える潮入の池があり、将軍家が海を楽しんだ場所である。また浜離宮の北にある銀座運河は、最近までプレジャーボートのメッカで、釣り船からヨット、船上レストランなどが係留され、人々の東京湾とのかかわりを示していた線的親水空間である(この運河は環状2号線として埋め立てられる予定である)。
新旧市街地の接点となる汐留の開発計画にあたって、このような浜離宮の緑、塩入の庭に示されるような海と陸の関係、銀座運河で親しまれてきた海との関係を内陸側へ取り込めなかったのであろうか。首都高を挟んででも運河や塩入の港を引き込んだり、緑を連続して環状2号線沿いに緑地帯を設けるような計画であったら、風が流れ、カモメや海辺の鳥たちが飛び、さわやかな風が汐の香りを運んでくれたかもしれない。
第二の課題である銀座街は、江戸の地図では江戸前島と呼ばれた半島にあたり、日本橋から約5kにわたって南へ続いていた街である。幅120m、奥行き30〜50mという短冊形の街区構成に、高さを31mに統一してスカイラインの美しさをもった、ロンドンに似たヒューマンスケールの街である。ここには銀ブラといわれる歩行者空間の楽しみがあり、新しいファッションがあふれ、旧い建築と新しい建築が混在し、常に新しさ、話題性があふれているという魅力がある。銀座のアーバンデザインのもつ街区構成や、ヒューマンスケールの町づくり、そして常にどこかで新しい時代を象徴する建物やファッションが生まれてきた活性的な街のコンテクストが、その南側にある汐留開発でも、ハード、ソフト両面で意識されるべきではなかったか。街の方向性、高さ、ヒューマンスケール、歩行者空間それぞれの課題にどのように応えているのであろうか。残念ながら汐留の街区は銀座街区とは違って不整形であり、その結果、街区内の建物はどちらを正面としているのか分からない。曲面で変形した建築デザインが多く、単体では美しくても東西南北の方位感覚も働かなくなってしまう。新橋方面の旧市街地とのスケールギャップも大きく、ゆりかもめもビルの狭い谷間から顔をのぞかせている。地下の街路を歩いても、何度も案内サインを覗き込んで確かめないと自分の居場所が分からなくなる。ペデストリアンデッキを歩くときも超高層の建物を目当てにして動くしかなく、道としての方向性がない。銀座街の分かりやすさを作り出している街区構成の良さはここには見られない。しかも銀座のように何年も何十年もの間、それぞれの街区が更新されて時代を反映した知恵が蓄積されていくという、新しい街が常につくられるソフトの仕組みが汐留には感じられない。
第三の交通網、道路網については、汐留地区にはJR、ゆりかもめ、地下鉄等の公共交通機関、そして首都高速、昭和通り、第一京浜、環状2号線等の道路網が入り組み錯綜しているが、その状況をどう乗り越えて快適な歩行者空間が生み出されただろうか。様々な交通網によって街区が分断され、それをつなげようと地下街路、空中ペデストリアンネットワークが設置されているが、これらは連絡機能のみを担っていて街区相互のアクティビティを連結するという役割はみられない。街区から提供された公共空間も各敷地単独で趣向を凝らしてはいるが、共通のアーバンデザインコンセプトが話し合われた形跡はない。
このような、汐留という歴史的に重要な地区に、適切な都市デザインがなぜ行われなかったのであろうか。都市デザインは人の空間を豊かにして都市を人間の手に取り戻そうすることだった。建築としてのすばらしさはあっても群としての都市デザインや人々の生き生きとした生活の空間が見られないのが残念である。各街区における容積率、高さ制限等の法的規制のみが作用して建築としてデザインされているだけで、街区の不動産価値を最大限高めることだけに汲々とし、高層建築がひしめき合っている状態といえる。超高層群にしては街区が狭すぎるのか、新宿西口のような公開空地の緑も少ないように思われる。都市デザインは特別な予算がないとできないという財政難を理由に一蹴されたのだろうか。このような大規模な開発が行われているにもかかわらず、都市デザインの力が及ばない状況は現代社会の経済優先による文化的貧しさを象徴しているようにも思える。考えさせられる事例である。
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「所論緒論」日刊建設工業新聞4 |
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