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Environmental
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Town/Regional Planning
木質建築
の開発
Timber Structure Development
COLUMN
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   COLUMN 12 汐留都市再開発での都市デザインの欠落
01
断層を避け、谷を単位とした水系保全型開発
02
凍結深度と基礎断熱
03
床暖房と木質フローリング
04
開放的で透明な空間を木サッシで創る
05
エンジニアリングウッドの可能性
06
内断熱の失敗
07
外断熱工法の効果
08
木構造による軽い屋根表現
09
風化させるな環境問題
10
サスティナビリティ
11
個の尊重
12
汐留都市再開発での都市デザインの欠落
13
東京の空の不思議
14
すばらしい春秋空間は不快な夏冬を超越できるか
15
だれがデザインの責任を負うのか(第三者監理の課題)
16
吉武研究室での刺激的時間
17
風景を凛と引き締める屋根
18
木造の第五世代
19
現代の職人
20
ASIA WEEK
島塚 容子氏
21
Sustainable Designworks
2000-2007
22
Nanasawa Kibonooka
Elementary School
23
建築関連分野の地球温暖化対策ビジョン 2050
24
木の魅力を拡げる
25
木造でつくる、
次世代の「近代建築」
Timber Structural
Development Will Spread
The Next Generation
Of The Modern Architecture
26
Thinking outside
the usual white box
27
地球温暖化対策
アクションプラン2050
28
低炭素社会の理想都市と
分散型エネルギー
ネットワーク
Ideal Environmental City
For The Low Carbon Society
And The Dispersed
Energy Network
12 汐留都市再開発での都市デザインの欠落
 東京では大規模な都市開発の完成が続いている。市街地の空洞化問題が地方都市だけでなく都内にもおしかけているような経済不況の時代にもかかわらず、品川、六本木、汐留などの都市開発地区を見る限りでは日本経済は右肩上がりかと錯覚しそうである。これらの開発の中でも汐留地区において、都市計画家、都市デザイナーがどのような役割を果たしてきたのかを見てみたい。

 汐留開発において都市デザインを考える際のコンテクスト(文脈)は最低3つあると思われる。第一は東京湾の海を引き込んだ浜離宮の埋立ての歴史と緑地帯。二番目は人々に親しまれてきた銀座の延長にある街としての位置。そして道路や鉄道などの交通空間と共存し、守られる歩行者空間の快適性である。

 第一の海と緑の課題に関しては、汐留は歴史的にみると東京の海と街との接点として重要な位置にあった。浜離宮は1654年に作られ、海辺の庭園の特徴である、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変える潮入の池があり、将軍家が海を楽しんだ場所である。また浜離宮の北にある銀座運河は、最近までプレジャーボートのメッカで、釣り船からヨット、船上レストランなどが係留され、人々の東京湾とのかかわりを示していた線的親水空間である(この運河は環状2号線として埋め立てられる予定である)。

 新旧市街地の接点となる汐留の開発計画にあたって、このような浜離宮の緑、塩入の庭に示されるような海と陸の関係、銀座運河で親しまれてきた海との関係を内陸側へ取り込めなかったのであろうか。首都高を挟んででも運河や塩入の港を引き込んだり、緑を連続して環状2号線沿いに緑地帯を設けるような計画であったら、風が流れ、カモメや海辺の鳥たちが飛び、さわやかな風が汐の香りを運んでくれたかもしれない。

 第二の課題である銀座街は、江戸の地図では江戸前島と呼ばれた半島にあたり、日本橋から約5kにわたって南へ続いていた街である。幅120m、奥行き30〜50mという短冊形の街区構成に、高さを31mに統一してスカイラインの美しさをもった、ロンドンに似たヒューマンスケールの街である。ここには銀ブラといわれる歩行者空間の楽しみがあり、新しいファッションがあふれ、旧い建築と新しい建築が混在し、常に新しさ、話題性があふれているという魅力がある。銀座のアーバンデザインのもつ街区構成や、ヒューマンスケールの町づくり、そして常にどこかで新しい時代を象徴する建物やファッションが生まれてきた活性的な街のコンテクストが、その南側にある汐留開発でも、ハード、ソフト両面で意識されるべきではなかったか。街の方向性、高さ、ヒューマンスケール、歩行者空間それぞれの課題にどのように応えているのであろうか。残念ながら汐留の街区は銀座街区とは違って不整形であり、その結果、街区内の建物はどちらを正面としているのか分からない。曲面で変形した建築デザインが多く、単体では美しくても東西南北の方位感覚も働かなくなってしまう。新橋方面の旧市街地とのスケールギャップも大きく、ゆりかもめもビルの狭い谷間から顔をのぞかせている。地下の街路を歩いても、何度も案内サインを覗き込んで確かめないと自分の居場所が分からなくなる。ペデストリアンデッキを歩くときも超高層の建物を目当てにして動くしかなく、道としての方向性がない。銀座街の分かりやすさを作り出している街区構成の良さはここには見られない。しかも銀座のように何年も何十年もの間、それぞれの街区が更新されて時代を反映した知恵が蓄積されていくという、新しい街が常につくられるソフトの仕組みが汐留には感じられない。

 第三の交通網、道路網については、汐留地区にはJR、ゆりかもめ、地下鉄等の公共交通機関、そして首都高速、昭和通り、第一京浜、環状2号線等の道路網が入り組み錯綜しているが、その状況をどう乗り越えて快適な歩行者空間が生み出されただろうか。様々な交通網によって街区が分断され、それをつなげようと地下街路、空中ペデストリアンネットワークが設置されているが、これらは連絡機能のみを担っていて街区相互のアクティビティを連結するという役割はみられない。街区から提供された公共空間も各敷地単独で趣向を凝らしてはいるが、共通のアーバンデザインコンセプトが話し合われた形跡はない。

 このような、汐留という歴史的に重要な地区に、適切な都市デザインがなぜ行われなかったのであろうか。都市デザインは人の空間を豊かにして都市を人間の手に取り戻そうすることだった。建築としてのすばらしさはあっても群としての都市デザインや人々の生き生きとした生活の空間が見られないのが残念である。各街区における容積率、高さ制限等の法的規制のみが作用して建築としてデザインされているだけで、街区の不動産価値を最大限高めることだけに汲々とし、高層建築がひしめき合っている状態といえる。超高層群にしては街区が狭すぎるのか、新宿西口のような公開空地の緑も少ないように思われる。都市デザインは特別な予算がないとできないという財政難を理由に一蹴されたのだろうか。このような大規模な開発が行われているにもかかわらず、都市デザインの力が及ばない状況は現代社会の経済優先による文化的貧しさを象徴しているようにも思える。考えさせられる事例である。
「所論緒論」日刊建設工業新聞4
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